横浜地方裁判所 昭和53年(モ)1488号 判決
債権者(両事件)
甲野太郎
右訴訟代理人
三野研太郎
(外三四名)
債務者
日本チバガイギー株式会社
右代表者
エツチ・エツチ・クノツプ
右訴訟代理人
赤松悌介
外一七名
債務者
武田薬品工業株式会社
右代表者
小西新兵衛
右訴訟代理人
日野国雄
外七名
主文
一 当裁判所が昭和五三年(ヨ)第四六八号金員仮払仮処分申請事件について昭和五三年六月一日になした仮処分決定を認可する。
二 訴訟費用は債務者らの負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 債権者
主文一、二項同旨
二 債務者日本チバガイギー株式会社
1 主文一項掲記の仮処分決定を取消す。
2 債権者の本件仮処分申請を却下する。
3 訴訟費用は債権者の負担とする。
三 債務者武田薬品工業株式会社
二の1ないし3と同文
第二 当事者の主張
一 申請の理由
1 被保全権利
(一) 債権者は、昭和四五年五月六日、入院中の横浜○○○○病院において急性腸炎に罹患し、キノフオルム含有製剤エンテロ・ビオフオルム(以下、エンテロ・ビオフオルムという。)を投与されて服用し、同年六月頃よりスモンに罹患した。
(二) 債務者日本チバガイギー株式会社(以下、日本チバガイギーという。)は、別紙キノフオルム含有製剤表記載の如く、エンテロ・ビオフオルムを製造または輪入したものであり、債務者武田薬品工業株式会社(以下、武田薬品工業という。)は、同表記載の如く、エンテロ・ビオフオルムを販売したものである。
(三) 債権者が服用したエンテロ・ビオフオルムは、債務者らが前記の如く製造、輸入、販売をしたものであり、債権者が罹患したスモンは、右エンテロ・ビオフオルムによつて惹起されたものである。
(四) 債務者らは、いずれも医薬品の製造、輸入、販売(以下、製造等という。)を業とするものであり、医薬品の製造等を開始するに際してはその安全性を確認すべき注意義務がある。そして、債務者らは、キノフオルムの特質および動物や人間に対する副作用に関する文献等によつて、それが人体に重大な害作用を及ぼす疑いをもつことが可能であつたし、また疑いをもつべきであつたにもかかわらず、これらの事実を無視もしくは看過してエンテロ・ビオフオルムの製造等を開始した過失がある。
また、債務者らは、エンテロ・ビオフオルムの製造等の開始後においても、その安全性に疑いが生じた場合には直ちに人体に対する被害の発生および拡大を未然に防止すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、スモンを発生させ、拡大させた過失がある。
(五) 債権者が、スモンに罹患したことにより受けた身体的、精神的、社会的、経済的損害は甚大であり、共同不法行為者である債務者各自に対して、少くとも五五〇〇万円の損害賠償請求権を有する。
(1) すなわち、債権者は、在日韓国人であるが、昭和一六年三月に当時の朝鮮から東京に来て以来、土方等の労働や材木店、旅館の経営をした後、昭和四五年五月当時は横浜市内の港湾荷役会社に勤務していた。
債権者は、独身で我国内に身寄りがなかつたが、スモン罹患までは、健康に恵まれ、勤務先からの収入で自活することができた。
(2) 債権者は、前記の如く、昭和四五年五月六日から急性腸炎治療のため、エンテロ・ビオフオルムの投与を受けたが、同年六月頃から、両下肢を動かすと激痛が走り、腰から足先までの知覚異常、しびれ感および冷感等が生じ、更に両眼の視力が著しく低下して、同年八月頃スモンと診断された。
その後、債権者は、昭和四八年春まで約三年間入院し、以後通院を続けているものの、前記症状は快方に向わない。現在においても両下肢、特に下腿のしびれや痛みがあるばかりか異常知覚があり、同部の表在知覚深部知覚低下があり、更に対麻痺で歩行障害もあり、両膝反射亢進、アキレス腱反射欠損、視力障害(右0.02、左0.01)等の症状がある。
(3) このため、債権者は、杖なしでは外出できず、満足に両足が上がらないため、つまずくこともあり、駅等の階段の昇降には大変な苦痛を強いられている。
そして、椅子に座つているだけでも足が非常にしびれ、夏でも就寝時には両足に布団を掛けなければならないほどの冷感があり、横になつても真直ぐに足を伸ばすことができない。下半身に冷感があつて汗が出ないため上半身に多量の汗が出るし、新聞の見出しもよく読めず、また、下痢をしやすくなつたことも大きな苦痛となつている。
(4) 債権者は、昭和四八年六月二八日、身体障害者福祉法に基づき身体障害者手帳の交付を受け、昭和四九年三月三〇日にスモン病による体幹機能障害および中枢性視力障害により、身体障害者等級表による三級に認定されている。
(5) 債権者は、スモン罹患により失職したため収入の途を断たれて生活が困窮し、いわゆるドヤ街の簡易宿泊所への居住を余儀なくされる等悲惨な生活状態に陥つた。これに加え、前記の諸症状による苦痛と不自由、治癒に対する絶望感、健康への自信喪失、身のまわりの世話をする者のないことから来る孤独感等、債権者がスモン罹患後約八年の間の苦痛と犠牲は測り知れない。
(6) 債権者の受けた損害は、到底金銭によつて完全に償えるものではないが、以上の事情を綜合すれば、債権者の損害の合計額は五五〇〇万円を下ることはない。
2 保全の必要性
(一) スモン罹患者を原告とし、債務者らおよび申請外国を被告とするいわゆる神奈川スモン訴訟は、第一次訴訟が昭和五二年八月一三日に提訴され、第二次訴訟は同年一一月二一日に提訴され、現在横浜地方裁判所に係属中である。
債権者は、第二次訴訟の原告の一員であり、本件仮処分の本案として、債務者らおよび申請外国に対し五五〇〇万円の損害賠償金を連帯して支払うことを求めている。しかし、全国各地におけるスモン訴訟の進行状況から見ると、債権者が右訴訟において判決を得るまでにも今後長い期間を要することは必至である。
(二) 債権者は、スモン罹患から今日に至るまで約八年間にわたり言語を絶する肉体的、精神的、経済的苦痛を重ねたうえ、債務者らからは何らの救済措置を講ぜられることなく、放置されて来た。そのため、債権者の被害は拡大し、債権者の生活の破綻の程度は深刻化の一途をたどり、その救済が遅れれば遅れるだけ回復し難い損害を蒙りつつある。
殊に、債権者の経済状態と生活苦はもはや一刻も放置できないほど逼迫しており、このまま放置されると、「健康で文化的な最低限度の生活」どころか、生命の維持すら危うくなるおそれがある。
(三)(1) 債権者は、本件仮処分申請当時、生活保護法による生活、住宅、医療の扶助を受け、医療費を除き、月当り約七万円を支給され、この給付を唯一の収入として暮らしていた。
住居について、債権者は、民間アパート等への入居を希望し何度も探し求めたが、債権者にまとまつた金のないこと、スモン患者であるうえ身体障害者であること、生活保護を受けていること、身のまわりの世話をする者のないこと、在日韓国人であること等の理由からすべて拒絶され、療養に適さず、しかも身の安全に危険があること等を知りながら、やむなくいわゆるドヤ街の簡易宿泊所の三畳一間に入居して生活していた。
債権者は、当年五二歳であり、独身で身寄りの者もなく、不自由な肢体と視力に堪えて自炊生活を続けていたのであるが、債権者の宿泊している簡易宿泊所およびその周辺は、債権者自身もたびたび暴行や脅迫を受けるなど危険な所であつた。従つて、債権者は、スモンの療養はもとより、身の安全をはかるためにも、交通の便のよい風呂付きの一階の住居に緊急に移転する必要があつた。
横浜市内においてこの条件を充足し、かつ一人住まいの男性でスモンにより身体が不自由なうえ韓国人の債権者が入居しうる部屋を確保するためには、家賃として一か月六万円、敷金として家賃の三か月分、前家賃および礼金ならびに仲介手数料各一か月分の合計三六万円が最低限度必要である。
そのうえ、債権者は、最低限度の文化生活を送るために必要な家財道具をもつていないので、新しい住居で生活するためには、洋服ダンス、キツチンボード、テーブルセツト、洗濯機、扇風機、照明器具、ガスコンロ、食器等の世帯道具のほかに、足と眼が不自由なために冷蔵庫、炊飯器、電話機、ベツドおよびその付属寝具などが必要であり、更に、冬を迎えるに当つて暖房器具と衣類が不可欠である。
債権者が、生活するのに最低限度必要なこれらの生活用具を購入するためには、少くとも一三〇万円を必要とする。
(2) なお、債権者は、本件仮処分決定による一時金を得た後、家賃一か月六万円までの条件で借間を探すことを不動産業者に依頼したが、右業者は、右条件の下で債権者を受け入れてくれる賃貸人を探すことができなかつた。そこで債権者は、早急に身の危険のない場所に移転しなければならず、しかも多額の借金の返済に迫られていたことから、やむなく仮りの住居として、一か月分の前家賃三万五〇〇〇円、家賃三か月分の敷金、家賃一か月分の礼金合計一七万五〇〇〇円を支払つて現住居に移転した。
現住居は前記簡易宿泊所に比較すれば身の危険はないが、日があたらないため日中も電灯をつけないでは過ごせないうえ、湿気や悪臭が強ので療養に適さず、スモン患者の恐れる冬を迎えるにあたり、債権者の健康にとつて、不安な所である。従つて、債権者には、更に適当な住居に移転する緊急な必要性がある。
(四) 債権者は、前記の如く、独身で我国内に身寄りがなく、スモン罹患によつて収入の途を断たれ、そのため生活費、差額ベツド代、温泉治療費、マツサージ代等は借金によつて賄わざるを得なかつた。
債権者は、昭和四五年六月にスモンに罹患してから生活保護法による扶助を受けはじめた昭和四八年春までの約三年間の間に、福島県いわき市に在住する旧知の同国籍の友人から合計二六〇万円を借り入れた。
これらの借金については、債権者がその住所を秘匿しているために返済の請求がないだけであり、万一貸主に債権者の住所が判明し、また、債権者が本案訴訟において五五〇〇万円を訴求していることが知られた場合には、その返済を迫られることは必至である。
(五) 債権者が生活保護法による扶助を受けるようになつてからも、一か月七万円で住宅費、光熱費等を支払つたうえで生活してゆくことがいかに困難かつ悲惨なものであるかは明らかである。
そのうえ、債権者の場合には、簡易宿泊所の生活において、住居費および光熱費の負担が大きいとの特殊な事情があつた。すなわち、一般に、簡易宿泊所の部屋代、光熱費等は、居住者に定住性のないこと等の理由から高額である。債権者の居住していた簡易宿泊所もこの例にもれず、部屋代が三畳一間で一日七〇〇円、電気代がテレビ、ラジオ等の電気製品一個当り一か月一五〇〇円、ガスに至つては一〇円硬貨を入れなければ使用できず、しかも一〇円硬貨一枚で小さな薬かんが沸かせる程度である。このように、債権者が毎月簡易宿泊所に支払う住居費および光熱費等は、債権者の生活費全体に大きな割合を占めていた。
(六) このため、債権者は、生活保護によつて支給される金額の範囲内では到底生活することができず、生活費の不足を補うため、生活必需品である僅かな衣服等を入質し、更に、申請外山下一夫から二五万円、同山川次子から入質物のほかに金二〇万円、同川本某から一五万円、同川上某から五万円、同川村某から一〇万円、同川北某から三〇万円とそれぞれ借金を重ね、質店への元利金を加えて以上の合計は一一七万円にも達し、これらはいずれも緊急に返済する必要があるものである。
(七) 債権者は、昭和五二年一〇月、故国韓国において実母が既に死亡していたことを知つたが、前記のとおり債権者自身の生存を維持することすら困難な経済状態の下では、墓参のため帰国することは不可能である。
異国にあつて身寄りがなく、悲惨な生活を送り、健康の回復に対する自信を失なつている債権者にとつては、生きているうちに一度帰国して亡母の墓参を済ませたいとの願いは切実であり、この帰国のための旅費および滞在費等に約二〇万円を必要とする。
(八) 債権者が今後生活してゆくため最低限の生活費として一か月一五万円を必要とすることは明らかである。
すなわち、債権者は、家賃、電話、光熱費等で一か月約七万円を必要とし、残金約八万円で食費、健康保険料、通院交通費、マツサージ代等を賄わざるを得ない。食費については、満足に自炊ができないため症状の悪化したときは出前物が多く、また、交通費については、雨天や遠出のときにはタクシーに乗らざるを得ない。
従つて、月一五万円の生活費は、不足することはあつても、充分な額ではなく、身体の不自由な債権者は、食事を作つてくれる者を雇うことを希望しているが、それをする余裕は全くない金額である。
(九) 債権者は、以上(一)ないし(八)に述べた事情から一時金として二五〇万円を、また、(九)に述べた事情から昭和五三年六月より一一月まで毎月末日限り一五万円を債務者各自に緊急に支払を求める必要がある。
3 結論
そこで、債権者は、債務者各自に対し、右各金員の仮払を求める仮処分の申請をしたところ、横浜地方裁判所は、昭和五三年六月一日に同庁同年(ヨ)第四六八号金員仮払仮処分事件の仮処分決定においてこれを認容し、「債務者両名は、各自債権者に対し、金二五〇万円及び昭和五三年六月から同年一一月まで毎月末日限り、金一五万円を仮に支払え。」との仮処分決定をなした。
よつて、債権者は、右仮処分決定を認可する旨の判決を求める。
二 申請の理由に対する日本チバガイギーの答弁
1 被保全権利について
(一) 申請の理由1の(一)項の事実は知らない。
(二) 同(二)項の事実は認める。
(三) 同(三)項のうち、債権者がエンテロ・ビオフオルムを服用したことおよびスモンに罹患したことは知らない。キノフオルムがスモンの原因であることは否認する。
(四) 同(四)項のうち、債務者日本チバガイギーが医薬品の製造、輪入、販売を業とすることは認め、同債務者に過失があることは否認する。
(五) 同(五)項冒頭の事実のうち、債権者がスモンに罹患したことは知らず、債務者日本チバガイギーに対して損害賠償請求権を有することは争う。
同項(1)ないし(6)の事実は知らない。
2 保全の必要性について
(一) 申請の理由2の(一)項の事実は認める。
(二) 同(二)項ないし(八)項のうち、債権者が生活保護法により一か月約七万円の扶助を受けていることおよび本案訴訟において五五〇〇万円を訴求していることは認め、その他の事実は知らない。
(三) 同(九)項は争う。
3 主張
(一) 被保全権利の不存在について
(1) 債権者がスモンに罹患していることは、極めて疑わしい。スモンは非特異性の神経疾患であつて多くの類似疾患があり、その診断には困難を伴うことが多く、ただ症状の経時的な発現形態の推移にやや特徴がみられることから、この点が多数の類似疾患からスモンを識別する唯一の手がかりとなることも少くない。従つて、スモンと診断するためには、発症前後の診療録等を参照して厳密な鑑別診断がなされなければならないが、債権者についてかかる鑑別診断がなされていないし、診療録を精査してこれを転記した投薬証明書もなく、投薬と神経症状の発現または増悪との関連性も診断されていない。
(2) キノフオルムはスモンの原因ではなく、仮りに原因であつたとしても、債務者日本チバガイギーにはそれについての予見可能性がなかつたので過失はない。
スモン=キノフオルム説には疫学的に重大な疑問点が幾多残されており、また、動物実験でも未だスモン特有のダイイング・バツク・タイプ末梢神経病変はキノフオルム投与動物に再生されていないのである。外国におけるキノフオルム使用情況が日本とさしたる違いがなく、むしろ、一人当りまたは一回当り投与量が日本の場合より多い国が存在するのに、外国では殆どスモン発生がみられない。また、キノフオルムは少数の国を除き全世界の国々で今でも製造販売を許されているのが実状である。しかも、スモンが日本以外の世界に初めて知られたのは昭和四五年(一九七〇年)の日本でのキノフオルム剤使用等中止措置に関するWHOの報道によつてであり、キノフオルム説は日本においてさえこの年初めて唱導されたのである。
昭和三〇年(一九五五年)頃のスモンの発生から昭和四五年(一九七〇年)まで約一五年もの間、スモンに罹患した約一一〇〇〇人もの患者について、その投薬治療に当つた数百の資格ある臨床医が誰一人キノフオルムをスモンの原因として疑つた報告を出した者がなかつたという事実は、真にキノフオルムがスモンの原因であるとすれば、誠に信じ難い現象であるといわなければならない。右の事実は予見可能性を否定するに留らず、因果関係そのものが存在しないことを示す有力な情況証拠というべきであろう。
しかも、キノフオルム説の発表された昭和四五年(一九七〇年)以前、スモンと薬物との何らかの関連可能性を調べるため、日本の医学専門家による服用薬剤調査が数回行われ、その中の一つは国立病院の医師達により三回にわたつて行われたかなり組織的な調査であつたにもかかわらず、その対象となつた薬剤の中でキノフオルム剤については特にスモンとの関連は認められないという結論が出ていた事実は注目に値する。なお、昭和四五年(一九七〇年)以前に公刊され、キノフオルム説発表後キノフオルムの神経毒性を示唆するものとして指摘された文献はすべて日本の医学関係図書館その他の研究施設に保管され何人にも利用し得る情況にあつたのである。
ところで、製薬業者の副作用報告調査は臨床医家の協力を得てのみ可能であるが、キノフオルムとスモンとの関連について疑いを呈した報告が一例もなく、日本の医家においてさえ予見できなかつた時点において、キノフオルム製造販売者に対しスモンの予見を期待し得ないことは自明といわなければならない。
(二) 保全の必要性の不存在について
債権者の主張する多額の借金の存在は疑わしい。
そして、債権者は、生活保護法による扶助として一か月約七万円を支給されているところ、他に扶養家族があるわけではなく、また、スモンの通常治療費は全部公費負担であり、月々七万円で一応自活できる事情にあることがうかがわれるから、今にして債権者の求める額の金員の仮払を必要とする緊急の窮迫事態が発生する筈がない。帰国交通費の主張はそれ自体、仮払仮処分の必要性を自ら否定するものである。
なお、債務者らは、いずれも和解で本件を早期に終局的に解決しようとしているとき、本件の如き満足的仮処分をいきなり求めるのは本案を紛糾せしめるものであつて、かえつて根本的解決の気運を損うものというべきである。
(三) 結論
本件の如き満足的仮処分については、被保全権利および保全の必要性について高度の疎明が必要であるところ、かかる疎明はなされていない。
よつて、債務者日本チバガイギーは、本件仮処分決定を取消し、本件仮処分申請を却下する旨の判決を求める。
三 申請の理由に対する武田薬品工業の答弁
1 被保全権利について
(一) 申請の理由1の(一)項の事実は知らない。
(二) 同(二)項のうち、債務者武田薬品工業に関する事実は認める。
(三) 同(三)項のうち、債権者がエンテロ・ビオフオルムを服用したことおよびスモンに罹患したことは知らない。キノフオルムがスモンの原因であることは争う。
(四) 同(四)項のうち、債務者武田薬品工業が医薬品の製造、輸入、販売を業とすることは認め、同債務者に過失があることは争う。また、同債務者は、エンテロ・ビオフオルムについては、その製造者たる債務者日本チバガイギーと卸売店との中間に位置して単にその間の流通に携わつていたものであり、製造者と同様の注意義務を負うものではない。
(五) 同(五)項冒頭の事実のうち、債権者がスモンに罹患した事実は知らず、債務者武田薬品工業に対して損害賠償請求権を有することは争う。
同項(1)ないし(6)の事実は知らない。
2 保全の必要性について
(一) 申請の理由2の(一)項の事実は認める。
(二) 同(二)項ないし(八)項のうち、債権者が生活保護法により一か月約七万円の扶助を受けていることおよび本案訴訟において五五〇〇万円を訴求していることは認めその他の事実は知らない。
(三) 同(九)項は争う。
3 主張
(一) 被保全権利の不存在について
(1) 債権者がスモンに罹患していることが極めて疑わしいことは、債務者日本チバガイギーが「3主張(一)(1)」で述べるとおりである。
また、債権者の眼症状については、眼底は、両眼乳頭がやや萎縮状態であるもののその他には異常がなく、視力障害として眼の中に黒いものが走るのは、眼底ではなく硝子体の異常によるものとしか考えられない。結局、債権者の視力障害は全体としてスモンによるものではない。
以上、いずれの見地からしても、債権者がスモンに罹患していることには強い疑問がある。
(2) スモンの病因は、今日でも確定していない。スモン調査研究協議会が前後二回にわたつて行なつたスモン患者のキノフオルム服用情況調査によつても、約一五パーセントの確実な非服用者が認められているなど、キノフオルム原因説には、幾多の疑問点が残されている。
(二) 保全の必要性の不存在について
(1) 本件仮処分決定は、将来六か月間の月額一五万円の仮払に加えて二五〇万円の即時仮払を認容しているが、生活費相当額の一五万円の仮払はともかくとしても、二五〇万円の即時仮払を命じた部分は、本来緊急性を認めるべきでない事項についてまで無限定に必要性を認定したもので、一般の損害賠償請求権を被保全権利とする金員仮払仮処分申請事件およびスモン訴訟に関する同種事件についての従来の正当な実務の慣行を無視したものである。
(2) 一般に、慰藉料または逸失利益を内容とする損害賠償請求権を被保全権利とする仮処分事件において、金員仮払仮処分を認容した事例は、近時の交通事故による損害賠償事件において散見されるのを別とすれば、殆どその例がない。
一般の損害賠償請求権は、その要件の審理、認定が多岐にわたり、争点となつた多くの事実および法律問題を解決しなければ、請求権の存否または金額について容易にその結論を得ない性質のものであり、このような被保全権利の性格を考慮しながら、なおかつ保全の必要性を認めるためには、よほどの高度の必要性が要求されるからである。
そして、近時、交通事故において認容例があるようになつたのは、自動車損害賠償保障法三条において過失の挙証責任が転換され、また、損害額の認定についても、裁判実務上、ある程度類型化が行なわれていること等の事情を無視できない。
そして、その仮払も、当面の医療費と生活費に限定されていることを留意する必要がある。
(3) 全国に係属中のスモン訴訟に関する金員仮払仮処分申請事件においても、生活費および治療費に限定して、一定期間毎月一定額の金員の仮払が認容されているにとどまり、一時金の仮払が認められたのは、極めて特殊な事情のある一件(岡山地方裁判所昭和五三年三月二七日決定)があるのみである。すなわち、スモン訴訟に関する金員仮払仮処分申請事件においても、一時金の仮払の必要性は一般的に否定されているのであり、この点に関する実務の大勢は動かし難いところである。
(4) 次に、本件の個別的事情に即して検討すると、本件仮処分決定が六か月間にわたり一か月一五万円に加えて仮払を命じた二五〇万円については、いかなる支出に充当さるべきものか全く不明であり、月額一五万円の生活費相当額に加えてかかる高額の金員の即時仮払を受けなければならない緊急性は見出せない。
債権者が主張する二六〇万円の借金の返済の必要性についてみると、これに関する債権者の主張自体が不明確であり、果して、かかる多額の借金が債権者に可能であつたのか、また、現実に存在するかについては多大の疑問がある。債権者の借金として確実に存在するのは入質によるものであり、その借入金の合計額は約一〇万二〇〇〇円に過ぎない。
まして、かかる多額の借金を即時全額返済する緊急切迫した事情は到底存在しない。債権者の主張自体によつても、債権者は昭和四五年から同四八年頃の間福島県いわき市に存在する旧知の韓国人の友人から借りたというのであるから、今日さし迫つて返済しなければならない緊急の事情が生じているとは到底考えることができない。のみならず、その後、債権者が申請外山下一夫外七名から借りたと主張する金員についても全く同様で、かかる借金の存在自体が疑問なだけではなく、即時返済しなければならない緊急性は存在しない。
(5) 韓国に居住していた債権者の母親の死亡は、はるか過去のことであつて、その墓参のための渡航費用等について緊急性を認める余地のないことは明らかである。
そして、債権者は、杖歩行により独力にて外出することができるから介添看護の必要はなく、現に入院しておらず、当面入院を必要とする情況も認められず、従つて、これらに伴なう費用の支出はない。また、債権者は、医療費とは別に、生活保護法による生活費の支給を受けており、その環境は快適とはゆくまいが、当面最低限度の独身生活を一応維持できているものというべきであり、また、債権者の日常が身体生命の急迫な危険にさらされているとは到底考えられない。
(6) そのうえ、本件仮処分決定後の債権者の行動はかかる保全の必要性の不存在を雄弁に物語つている。
福島県いわき市在住の旧知の友人から多額の借財をしたと主張しながらその返済を行う意思すらもなく、その他の借入金についても返済を迫られていると主張しながら、本件仮処分決定後に誰にいくらを返済したかも全く明らかにしない。事実借入金の返済を行つたのかどうかについても、大きな疑を払拭し得ないのである。そして、かえつて約八〇万円もの家具等の購入をしているのであるが、冷蔵庫等の備品を購入する資金、それも八〇万円もの高額のもろもろの購入資金について仮払の仮処分の必要性を肯定することは、到底無理である。
以上いずれの点からみても、治療費に相当する月額一五万円の仮払に加えて、二五〇万円もの高額の仮払を認容すべき程の保全の必要性は存在しない。
(7) 債務者らは、本件仮処分申請事件の本案を含むいわゆる神奈川スモン訴訟に関しても、スモン罹患の事実とその症度が、一定の方法により判定され、その発症につき、債務者らの製造、販売にかかるキノフオルム剤の服用との関連が肯認される債権者については、和解による早期解決を希望しており、今後ともその実現のため努力したいと考えている。
このスモン訴訟に特別の事情は、本件仮処分申請の保全の必要性の有無を判断するに当つては、充分に斟酌されてしかるべきものである。
(三) 結論
本件仮処分申請は、金銭の給付を求める処分ではあるが、損害賠償金の仮払を求める仮処分であり、被保全権利が一回の給付により消滅する債権であるため、本件申請がひとたび許容されると、債権者にもたらされる満足の程度は完全であり、反面、債務者らの蒙る損害は決定的で、その仮処分の影響は極めて深刻かつ甚大である。
従つて、本件においては、被保全権利および保全の必要性について高度の疎明が必要であるところ、かかる疎明はなされていない。
よつて、債務者武田薬品工業は、本件仮処分決定を取消し、本件仮処分申請を却下する旨の判決を求める。
第三 疎明関係〈省略〉
理由
第一被保全権利について
一1 〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 債権者は、大正一四年一〇月二九日韓国で出生した同国人であり、昭和一六年三月頃、知人を頼つて東京に来て、戦前は主に東京都内や福島県内で土方等をして暮し、戦後は同県いわき市内で長らく材木店や旅館を経営していたが失敗した。そこで、債権者は、昭和四四年横浜に来て○○○○株式会社(横浜市○区○○町三―二一番地所在)に就職し港湾荷役作業に従事したが、激しい肉体労働に耐えるだけの健康な身体をもち、一か月約二〇万円の収入を得て、独身で自活していた。
(二) 債権者は、昭和四五年四月八日、船舶内で荷役作業に従事中いわゆるギツクリ腰となり、同月一〇日より横浜○○○○病院(横浜市○区○○町○丁目一九九番地所在)に入院したが、入院中の同年五月六日激しい腹痛と下痢が始まり急性腸炎と診断され、その治療のためキノフオルム含有製剤であるエンテロ・ビオフオルム散「チバ」(以下、エンテロ・ビオフオルムという。)を、四日間一日当り1.5グラム、一〇日間一日当り2.5グラム投与されて服用した。ところが、債権者は、同年六月頃より臍部以下にしびれを感じ、両下肢を動かすと筋がつるような激痛を感じて足を思うように動かすことができず、歩行が困難になり、また、両下肢に絶えず冷感があつて発汗せず、足の裏には砂利道を素足で歩くような異常な感覚を覚えるようになつた。その後、債権者は同年七月二七日同病院から△△△△病院(川崎市所在)に転院し、次いで、同年一〇月九日に同病院から○○病院(東京都○○区○○町所在)に転院して昭和四七年三月末日まで入院治療を受けた。しかし、債権者の前記症状は更に悪化し、下肢全体に感覚がないように感じられ、腰以下の冷感が強く、上半身からは多量の発汗があり、足をのばして眠ることもできず、しばしば下痢をくりかえすようになり、そのうえ、両眼の視力も著しく低下した。
債権者は、右○○病院を退院後、福島県の白鳥温泉で約五か月間湯治し、昭和四八年二月頃から約一か月間、○○病院(同県いわき市所在)に入院して治療を受け、同年五月二六日から東京都立○○病院(東京都○○市○○○二丁目九番地二号所在)に通院して治療を受けている、しかし、これら治療によつても、債権者の前記各症状は、やや軽くなつた程度で殆ど変つていない。
(三) 債権者は、前記△△△△病院に入院中、昭和四五年八月に同病院の大山一夫医師からスモンと診断され、昭和四八年五月末日頃から前記東京都立○○病院において神経内科の医師中村一郎の診察を引続き受けてスモンと診断され、昭和五二年五月一〇日、昭和四五年六月に発症したスモンである旨の同医師の診断書を得た。
右大山一夫医師は、当時スモンに関する研究を行つており、右中村一郎医師は、前記病院の神経内科の医長であつて、いわゆる北陸スモン訴訟(金沢地方裁判所昭和四八年(ワ)第一二一号損害賠償請求事件)の鑑定人一五名のうちの一名であり、また、いわゆる東京スモン訴訟(東京地方裁判所昭和四六年(ワ)第六四〇〇号・第九八一五号・第一一〇七〇号、昭和四八年(ワ)第八七〇七号・第九四八〇号・第九四九一号、昭和五〇年(ワ)第二二八四号、昭和五一年(ワ)第四〇一四号・第四九三四号・第五〇一〇号・第六四五八号・第七〇一七号各損害賠償請求事件)の鑑定人一五名のうちの一名でもあり、かつ、厚生省特定疾患スモン調査研究班の一員である。債権者は、更に、昭和五三年八月二九日、○○大学医学部病院(○○市○区○○町三丁目四六番地所在)の神経科において同学部助教授の医師大下太郎の詳細な診察を受け、同医師からスモンである旨の診断書を得ている。
また、債権者は、昭和四八年六月二八日、身体障害者福祉法に基づき身体障害者手帳の交付を受け、昭和四九年三月三〇日にスモン病による体幹機能障害および中枢性視力障害により、身体障害者等級表三級に認定されているが、この認定に際しては医師の診断が行われている。
2 右(一)ないし(三)の事実によれば、債権者は昭和四五年六月頃スモンに罹患したと認めることができる。本件においては、債権者の右発症時期前後の診療録が提出されておらず、中村一郎医師の診断書には債権者の発症時期が昭和四四年一〇月から昭和四五年六月と訂正されている。また、発症時期についての中村一郎医師の診断は債権者本人の供述に基づくものであることが債権者本人尋問の結果から認めることができ、同じ事項についての大下太郎医師の診断も債権者本人の供述に基づくものと推定される。しかし、これらの事実は、前記認定を妨げるものではない。すなわち、先ず〈証拠〉によれば、債権者の右診療録は、前記横浜○○○○病院が廃院となつたため廃棄されたので提出することができないこと、中村一郎医師の診断書の訂正は同医師が診断書を作成した当日同医師によつて単なる誤記を訂正するためになされたものであることが認められるからであり、次に、債権者が昭和四五年五月六日から前記の如くエンテロ・ビオフオルムを服用したことについての証拠としては、横浜○○○○病院の昭和四五年五月分診療報酬請求書写と当時の主治医であつた清水規夫医師が右診療報酬請求書写に基づいて作成した証明書が存在し、後記の如く、エンテロ・ビオフオルムに含まれるキノフオルムがスモンの唯一の原因物質であることを考え合わせると、発症時期についての債権者の供述は信用することができるからである。また、〈証拠〉中に債権者の氏名がないことも、前記認定を妨げるものではない。
二債権者の服用したエンテロ・ビオフオルムが債務者日本チバガイギーが製造し、債務者武田薬品工業の販売したものであることは、各債務者が明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。そして、キノフオルムがスモンの唯一の原因物質であることは、〈証拠〉によつて認めることができ、〈証拠〉も右認定を覆すに足りない。
三債務者日本チバガイギーが、昭和三六年に我国内の自社工場でエンテロ・ビオフオルムの生産を開始し、債務者武田薬品工業をして我国内でそれを独占的に販売せしめたことは、〈証拠〉によつて認めることができる。医薬品は、人体に有益な作用を及ぼすと同時に有害な作用を及ぼす可能性のあるものであるから、債務者日本チバガイギーは、エンテロ・ビオフオルムの製造開始にあたつてはもとより、製造開始後も常にその安全性を確認し、人体に対する被害の発生および拡大を未然に防止するべき高度の注意義務を負うことは明らかである。
債務者武田薬品工業については、昭和二八年より昭和三六年まで自らエンテロ・ビオフオルムを含むキノフオルム含有製剤を製造、販売し、その間昭和三三年以後は債務者日本チバガイギーの仕様書に基づきその医薬品を同社のために独占的に製造するとともに同社の医薬品を我国内で独占的に販売し、昭和三六年以後は債務者日本チバガイギーの製造するエンテロ・ビオフオルムを含む医薬品を独占的に販売して来たことが、前記〈証拠〉によつて認められるところ、右事実によれば、債務者武田薬品工業は、エンテロ・ビオフオルムの販売を開始するにあたり、また、販売開始後において、債務者日本チバガイギーと同様の注意義務を負うものと認めることができる。
そして、両債務者にとつて、昭和三六年当時、エンテロ・ビオフオルムが大量投与されるであろうことおよびそれによつてスモンの中心的な症状である神経障害が生じる危険性のあることが予見可能であつたにもかかわらず、同債務者らはこれを予見せず、かえつてその安全性を強調しつつエンテロ・ビオフオルムの大量の製造と販売を継続したことが〈証拠〉によつて認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
四以上一ないし三に認定した事実によれば、債権者は両債務者の過失によつてスモンに罹患したものであり、従つて、両債務者に対してスモン罹患によつて受けた損害を連帯して賠償することを請求する権利をもつと認めることができる。
そして、債権者がスモン罹患によつて受けた損害は、既に一の1(一)ないし(三)で認定した事実のみによつても甚大なものであることが明らかである。従つて、債権者が両債務者各自に賠償を請求することのできる金額は、本件仮処分決定が仮払を命じた金額の合計三四〇万円を遙かにこえるものと認めることができる。
第二保全の必要性について
一申請の理由2の(一)項の事実は、当事者間に争いがない。
二〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。
1(一) 債権者は、昭和四九年から本件仮処分申請時においても○○会館(横浜市○区○○町三丁目一二番地の二所在)の二階の三畳程の一室に居住していた。右○○会館は、いわゆるドヤ街の簡易宿泊所であり、総じて不健康な生活環境であつて債権者の療養生活に適さないばかりか、粗暴な居住者も多く、債権者は会館の内外で暴行や脅迫を受けたことがあり、身体の不自由な債権者にとつて非常に危険な所であつた。また、二階の自室への階段の昇降は債権者に大きな苦痛を強いるものであり、下半身に異常な冷感の強い債権者に欠くことのできない風呂もなく、ガスは使用の都度一〇円硬貨を入れなければならない不便な所であつた。そのうえ、○○会館の部屋代は一日七〇〇円、債権者所有の電気毛布、電気釜、電熱器の電気代が一か月四五〇〇円、ガスは一〇円で小さな薬かん一つを沸かせる程度であり、これらの住居費および光熱費は割高であつた。
右の事情と債権者の苦痛に満ちた心身の情況からして、債権者は、交通の便が良く、一階で日当りが良く、台所、便所、風呂のある六畳程度の部屋に転居することが是非とも必要であるが、一般に、横浜市内でこれらの条件を満たす部屋を借りるためには、前払の部屋代として六万円、権利金または敷金として部屋代三か月分、礼金および仲介手数料として部屋代の各一か月分の合計三六万円が必要である。しかし、債権者の場合には一人暮しのスモン患者であることから、これをかなり上まわる金額を支払わなければ、このような部屋を求めることは困難である。
債権者は、本件仮処分決定による一時金を得た後不動産業者に前記の条件を満たす部屋を探すことを依頼したが、やはり債権者が一人暮しのスモン患者であることから、右不動産業者は貸間を見つけることができなかつた。そこで、債権者は、身の危険を避けるため、やむを得ず、○○会館の管理人の妻である申請外山川次子の紹介で現住居に移転し、前払の部屋代一か月三万五〇〇〇円、部屋代三か月分の敷金、同一か月分の礼金合計一七万五〇〇〇円を支払つた。
しかし、現住居は日当りが非常に悪く、日中も電灯をつけてなければならず、裏の食堂の悪臭のため窓を開けておかれない不健康な場所であるため、債権者は早急に再転居の必要がある。
(二) 債権者は一か月約七万円の生活扶助等では到底生活してゆけず、本件仮処分申請において僅かな衣類まで入質する程困窮し、生活に必要な家財道具を殆どもつていなかつた。債権者には身のまわりの世話をする者がなく、視力が著しく低下した不自由な身体で苦痛に堪えながら一人で食事を作り、洗濯、掃除等をしなければならず、また、急病、火災その他の危険が生じたときは、直ちに救助を求める必要がある。
このような、情況から、債権者にとつては、冷蔵庫、ベツトと付属寝具、洗濯機、テーブル、ガスこんろ、調理用具と食器等世帯道具一式と電話が必要であつたところ、債権者は本件仮処分決定による一時金を得て現住居に転居してからこれらを購入し、少くとも八〇万円を支出した。しかし、夏でも下肢に強い冷感を覚える債権者には、更に暖房器具と冬用衣類が必要であり、これらを購入するために少くとも一〇万円を必要とする。
(三) 従つて、債権者は、前記の諸費用(再転居の費用を含む。)として、合計一四三万五〇〇〇円を緊急に必要としていた。
2(一) 債権者は、昭和四五年六月スモンに罹患して以来働くことができなくなり、昭和五一年一〇月一三日に生活保護法による生活、住宅、医療の扶助を受けるまでの六年余の間、殆ど無収入であつた。すなわち、債権者が入院した各病院における治療費は、前記○○病院における一日八〇〇円の差額ベツト代を除き各種の社会保険の給付によつて支払われたが、債権者の手に入る収入としては、前記横浜○○○○病院に入院した昭和四五年四月八日から前記△△△△病院でスモンと診断された同年八月頃までの間労働災害補償保険法による一日約一〇〇〇円の給付、それ以後約半年間他の社会保険による同額の給付および前記○○産業株式会社からの見舞金約五〇〇〇円があつたのみである。
そして、債権者は、入院中の雑費、差額ベツト代、湯治の際の旅館宿泊料(一日六〇〇〇円)、入院していない期間の生活費を必要としたから、それにあてるため知人から多額の借財を重ねざるを得なかつた。また、債権者が生活保護法による扶助を受けるようになつてからも、一か月約七万円の扶助では到底生活費に足りず、特に○○会館における住居費および光熱費は前記の如く割高であつたので、債権者は更に質屋や知人からしばしば借金をせざるを得なかつた。
(二) この情況の下で、債権者は、○○会館の管理人の妻である前記山川次子から数回にわたり二〇万円を、○○会館に居住していた申請外川本某から一五万円、同じく川上某から五万円、同じく川村某から一〇万円、川崎に住む韓国人の申請外川北某から三〇万円を借受けた。これらの借金については貸主から厳しく返済を求められたことはなかつたが、本件仮処分申請時においては借受けた日よりかなり期間が経過し、山川次子は債権者が○○会館に居住していた当時非常に世話になつた人であり、川口、川上、川村は○○会館の居住者であり、川北は債権者が福島県いわき市に居住していたときから知合いの同国人であることから、他人の好意にすがりながら生きてゆかざるを得ない債権者にとつては、早急に返済する必要があつた。また、債権者は、昭和五二年一一月九日、申請外山下一夫から二五万円を利息一か月一割の約定で借受けたが、本件仮処分申請時において山下一夫から返済を厳しく求められていた。以上合計一〇五万円については、債権者は、本件仮処分決定によつて得た一時金の中から返済している。
(三) 更に、債権者は、昭和五三年二月一八日から同年五月一二日までの間、○○質店(横浜市○区○○町三丁目一三三番地所在)から借金をしているが、同店に入質した物は、債権者の衣類等の生活必需品や前記前田文恵から借りた物が多く、本件仮処分申請後間もなく流質期限の到来するものであつたから、同質店からの借金は早急に返済する必要があつた。右借金の元金合計は、一〇万二〇〇〇円であり、利息は一か月九分である。
(四) 従つて、債権者は、前記の各借金の返済にあてるため、少くとも一一五万二〇〇〇円を緊急に必要としていた。
3 債権者は、生活費として一か月一五万円を必要とするので、毎月一五万円の支払を受ける緊急な必要があつた。なお、本件仮処分決定による仮払により、債権者に対する生活保護法による扶助は支給されなくなつている。
三以上に認定したところによれば、債権者は、債務者各自に対する本件被保全権利である前記損害賠償請求権について、少くとも一時金として二五〇万円および昭和五三年六月から同年一一月まで毎月末日限り一五万円宛の支払を受ける緊急な必要があり、この支払を受けられないときは、債権者の身体の安全の確保、病状悪化の防止、生活費の確保等ができず、債権者が著しい損害を受けるものと認めることができる。
第三結論
よつて、本件仮処分決定を認可することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(管野孝久)
キノフオルム含有製剤表
キノフオルム含
有製剤の
販売名
製造・輸入・販売
をした債務者
会社名
製造・輸入等の 許可等とその年月日
エンテロ・
ビオフオルム錠
「チバ」
製造 チバ
販売 武田
昭
三五、一〇、三
製造許可
昭
三七、三、二七
製造承認事項一部変更承認 製造品目変更許可
エンテロ・
ビオフオルム散
「チバ」
製造 チバ
販売 武田
昭
三五、一〇、三
製造許可
昭
三九、三、九
製造承認事項一部変更承認
エンテロ・
ビオフオルム
シロツプ
輸入・製造 チバ
販売 武田
昭
四〇、一一、二五
輸入承認・輸入品目追加許可
昭
四一、二、一一
製造品目追加許可
注 「製造・輸入・販売をした債務者会社名」欄のうち、チバとは債務者日本チバガイギー株式会社を、武田とは債務者武田薬品工業株式会社をそれぞれ指す。